柔道 東京五輪男子66キロ級代表決定戦 ( 2020年12月13日 東京・講道館 )
日本柔道界史上初のワンマッチによる五輪代表決定戦は、24分間に及ぶ異例の長期戦の末、阿部一二三(23=パーク24)が丸山城志郎(27=ミキハウス)を大内刈りで技ありを奪い優勢勝ち。その後の強化委員会を経て、正式に東京五輪の男子66キロ級代表に決まった。
午後4時44分。世紀の一戦は始まった。右組みの阿部と、左組みの丸山。けんか四つの両者が、激しく相手の襟に手を伸ばす。開始2分。丸山が内股、阿部が背負い投げを打つ。得意技の応酬。だが決定打は生まれない。
規定の4分間はあっという間に経過した。ゴールデンスコア(GS)の延長戦に入ると、無観客の講道館には両者の乱れた息づかいだけが響いた。延長1分50秒。丸山が2つ目の指導で追い込まれる。3回で反則負けだ。だが丸山は一歩も引かない。同11分57秒。今度は阿部も指導2となり両者が並んだ。一瞬でも隙を見せたら命まで取られるのでは――。そんな錯覚さえ起こさせる死闘。9メートル四方の空間は、まさに令和の巌流島と化した。
戦いは永遠に続くのか。41度目の「待て」がかかり、再開して1分40秒が経過したその刹那、阿部が大内刈りを放つ。丸山は返し技を試みる。両者がそろって畳にもつれ込むが、わずかに背中がついたのは丸山。阿部はまだ喜べない。数秒間のビデオ判定を待つ両者。そして、静寂を破る「それまで」。目に涙をためながら雄叫びを上げる。15年11月の講道館杯で初対戦して以来、5年間に及ぶ両者の激闘は、24分間という至極のクライマックスを経て、阿部に軍配が上がった。
「丸山選手がいなかったら、ここまで強くなれていないと思う。本当にライバルと呼べる存在。存在は、本当に大きかった」
「ここまで肉体的、精神的に強くなれたのは、阿部選手の存在があったからこそ。僕を成長させたのが、彼の存在だったのは間違いない」
互いに仰々しく「選手」と付けて呼び合い、代表合宿では目も合わせない。「なたの迫力」と称される剛の阿部に対し「日本刀の切れ味」と評される柔の丸山。柔道のタイプも性格も違うが、今後も語り継がれるであろう歴史的激闘を経て、2人は互いに称え合い、その存在を認めた。
5年前の初対戦から、因縁めいていた。15年11月。飛ぶ鳥を落とす勢いだった神港学園高3年の阿部と、左膝の大ケガから復帰した天理大4年の丸山は、講道館杯準々決勝で対決。阿部にとって、翌年に迫っていたリオデジャネイロ五輪代表を射止めるには、この大会での優勝が必須だった。だが豪快な担ぎ技と、勢いが武器だった18歳は、老かいな4歳年上に敗れる。この時から東京五輪の出場権を巡る2人の争いは始まった。
リオ五輪で海老沼匡が2大会連続銅メダルにとどまると、その後は阿部が一気に台頭した。17、18年と世界選手権を連覇。18年は妹・詩と同日金メダルも達成し、東京五輪兄妹Vも、遮るものはないように思われた。この約1カ月前。丸山はアジア大会に出場も、決勝で韓国選手に敗れ準優勝。国内にライバルなき阿部を追う一番手として期待していた井上康生監督は、結果に大きく落胆。この時点で2人の差は大きく開いていた。
阿部が優勝すれば3年連続の世界選手権代表に内定し、五輪代表にもグッと近づくはずだった18年11月のGS大阪大会決勝。丸山はその前月1日、くるみ夫人と結婚。柔道選手として、どん底の時期に生涯の伴侶を得た男は、心を入れ替え、覚悟を固め、生まれ変わっていた。1年ぶりの対戦を巴投げで勝利する。
阿部はこの日振り返った。「延長戦で負けた試合をしっかり振り返ると、雑になった部分があった。今回は自分の柔道を貫いたのはもちろん、冷静さを貫けたのが、勝てた一つの要因かなと思う」。この一戦で露呈した「雑な部分」を丸山戦の課題と捉え、十分に整理して大一番に臨んでいた。
丸山はGS大阪大会から19年世界選手権まで、国内外の大会で破竹の5連勝。選考レースの形勢は完全に逆転した。
土俵際に追い込まれた阿部。丸山が優勝すれば五輪代表内定が決定的だった昨年11月のGS大阪大会で、再び決勝で相対した。直近5試合同様、ゴールデンスコアの延長戦に突入。相手が得意とする持久戦となったが、追い詰められた時の人間は強い。本来、自ら先に仕掛けるタイプの阿部が、「後の先」で支え釣り込み足を放って技あり。ライバル関係は、抜きつ抜かれつを経て、ついに横一線で並んだ。
コロナ禍で阿部は初めて妹・詩と本格的にトレーニングをともにして過ごし、丸山は尊敬する男子73キロ級代表の大野将平と汗を流した。詩と大野も、見守った世紀の一戦。最後は延長戦に入って左手中指の治療、鼻血の止血と追い込まれたかに見えた阿部が、大内刈りで丸山に尻もちをつかせた。「(前に)出ないといけない時間、相手が出てきた時間をしっかり判断した柔道ができた」。丸山の存在で成長した阿部が、阿部の存在で殻を破った丸山を、わずかに上回った。
試合後、丸山は「僕の柔道人生は終わっていない。これからも前を向いて精進していく」と語り、阿部は「やっとスタートラインに立てた。まだ、ここがゴールじゃない。一層気を引き締めて、東京五輪で優勝するのを一番に考えていく」と結んだ。
究極の“通過点”を乗り越えた阿部が、ライバルの思いも背負って221日後に開幕する大舞台に立つ。
◆阿部 一二三(あべ・ひふみ)1997年(平9)8月9日生まれ、神戸市出身の23歳。6歳で柔道を始め、兵庫・神港学園高2年だった14年にGS東京大会を史上最年少の17歳で制覇した。日体大在学時の17、18年に世界選手権を2連覇し、昨年大会は銅メダル。現在、昨年11月のGS大阪大会から国際大会2連勝中。パーク24所属。右組み。得意技は背負い投げ、袖釣り込み腰。1メートル68。妹は女子52キロ級東京五輪代表の詩(日体大)。
▽ワンマッチによる五輪代表決定戦 全日本柔道連盟によれば、柔道におけるワンマッチ決定戦は史上初めて。他競技ではレスリングで複数例があり、04年4月にアテネ五輪女子48キロ級代表を懸けて伊調千春と坂本真喜子が対戦。伊調が勝ち、妹・馨との姉妹同時出場を決めた。今年3月には東京五輪代表を懸けて決定戦2試合が行われ、女子68キロ級は土性沙羅、男子フリースタイル74キロ級は乙黒圭祐がそれぞれ代表の座を射止めた。
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